砂防林の歴史を学ぶ

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村松海岸砂防林造成の歴史

 東海村の住民は古来から大変な苦労をして、強い海風から東海村を守ってきました。地域の宝である村松海岸砂防林の歴史を学ぶ中央公民館講座「村松海岸砂防林造成の歴史」を、秋晴れとなった令和3年10月9日(土),東海村船場の中央公民館において受講してきました。講師は,東海村文化財保護審議会の萩谷信輝さん。萩谷さんは,約1時間半にわたり,村松海岸の砂防林の歴史について,約20名の聴講者に分かりやすく説明していただきました。
 講演では,
 〇東海村では,古来から強い海風(北東風)により,砂や塩が吹き付け,住民は大変な苦労をしていたこと,
〇村松コミュニティセンター付近は,江戸時代初期に多くの黒松が植林され,大切に保存されていたこと,また,水戸藩第9代藩主の徳川が,天保4年(1833年),白砂青松の村松海岸を「水戸八景」の一つ「村松晴嵐」として選定したこと(松が多かったことは,「」という小字名として,今に残っている),
 〇大勝年(1918年),旧村松村村長が,飛砂や潮風による農作物被害を何とかしようと,茨城県知事に砂防工事を願い出,同年,「村松村国有林」が国の「海岸砂防試験地」として,全国5ヶ所の試験地の一つとして選定されたこと,
 〇植林を指導したのは,河田 杰(まさる)博士であり,博士は,村松山虚空蔵堂前の「梅原屋旅館」に投宿,想像以上の強風と飛砂に悩みながらも,人口砂丘を作って地形を整理しながら,今では「茨城方式」と呼ばれる苗木の植え付け手法を編み出し,昭和28年(1953年)までの35年間にわたり,地元の住民らとともに植林作業に従事し,成果を上げたこと,
 〇地元民により「愛林組合」が組織され,組合の献身的な活動により,これまで黒松林が維持されてきたこと(現在,愛林組合の活動は一時停止中),
 〇「白砂青松」の村松海岸は,近郷近在からの「十三参り」などの参拝者で賑わっており,参拝時には村松海岸で弁当を広げる多くの人々の姿が見られたものだが,開発や松枯れにより,このような原風景は失われてしまったこと,
 〇我々には,「松林」「砂浜」という貴重な財産を,その歴史を含めて子々孫々まで語り継いでいく責任があるとともに,関係者が一丸となって,白砂青松の見事な海岸を取り戻す努力をする必要があること,
 などが,熱く語られました。
講演会には,ボランティアとして,村松海岸の清掃作業や,自然保護活動などに尽力している人も多く参加しており,萩谷先生の話に熱心に耳を傾け,メモを取る姿が見られました。
講演後,萩谷先生とあいさつした井坂理事長は,「先生には,『大空マルシェ』の際に,大変なお力添えをいただきました。今日のお話も大変勉強になりました。我々は,『地域魅力が連なる村松地区』を目指して設立されたNPO法人ですが,村松海岸も活動のフィールドに据えています。我々としても,先人のご苦労に想いを致しながら,また,先生の『現在は過去の延長線上にある』という今日の言葉を忘れずに,海岸の黒松やスカシユリの保護育成活動,清掃活動を,先生を始め多くの人たちと連携しながら進めていきたいです」と語りました。 (富田浩文様 記載)


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